「MARIE SOPHIE」1986年
ゼラチンシルバープリント
写真は、ある日の、ある時、ある場所で、ある人(物)を記録する。数年後に、もしくは数十年後にその写真は撮られた時の、そのままを克明に見る人に伝えて くれる。何気ない何の企てもない写真ほど、ある時のある状態を生々しく時を経ても鮮明に伝えてくれる。どうしてなのだろう。たぶん写真本来の能力はもとも と全方位に開かれているのだと思う。しかしそれを使う人、撮る人の考え方や目的や意図によって、それらの力が強く働けば働く程、その能力は限られた方向に しか開かれないのだと思う。だから僕は写真の前でもっともっと自由で野放図に、己の眼を開いて世界を受け入れていければと願っている。
「金沢にて」1993年
ゼラチンシルバープリント
何度暗室作業をしたかわかりませんが、露光された真っ白な印画紙を現像液に浸す瞬間は、なににも代え難い瞬間です。この一点のために白黒写真をやっている ようなものです。像が浮かび上がる時、期待と不安と感動が入り交じったような、あの感覚が大好きです。ぼくはきめ細やかなプリントワークをするよりも、そ の都度なるべく感覚的に身を任せて焼くようにしています。それは15年ほどまえ、写真を初めて間もないころに撮った「金沢にて」も、いまも、かわりません。
「セルフポートレイト <柵に掛かったローリンググラスと>
アリゾナ・バーストにて」1970年 ゼラチンシルバープリント
1970年、夏、NYで休暇をとっていた僕は東京からの電話依頼でアリゾナ・デスバレーに向かった。「death valley」なんと魅惑的な場所名ではないか! しかし、その砂漠はまさしく死の谷。日中は57℃の高温で汗も瞬時にドライアップしてしまう。腕に白く 残った塩を舐めながらの撮影であった。
1991年にタイのバンコク、チャイナタウンの一角で出会った老人。撮影をきっかけにその後、交流をもちました。
「トロッコとドラムカン」1991年
タイプCプリント
野外で撮影していると、その時々の環境や時間、光の具合によって思いもよらない幸運がレンズの前に現れる事が稀にあり私を喜ばせる。しかし暗室作業にその 偶然を期待すると必ず失敗する。最終プリントを頭の中に描きながら、試行錯誤を繰り返し印画紙に露光を与える。私のイメージと化学変化の足し算、引き算。 暗室作業とは永遠に正解の出せない回答用紙のように思える。
「elepi」1984年
ゼラチンシルバープリント
この写真は、大学4年生の時に開催したグループ展で出展しました。それも最後の最後で差し替えた写真でした。会期も迫ったある日の夕暮れ時、近所を散歩し ていると、一台の捨てられていた「エレピ」を見つけました。そしてぼくは、その「エレピ」から、捨てられているにもかかわらず、”時間”であるとか、“音 楽”であるとか、様々なものを感じることが出来ました。しかも、そうやって撮影され、展示されたそのたった一枚の「エレピ」の写真は、初めての個展へと導 いてくれました。とにかく、ぼくにとってこの写真は、そんなすべての始まりを生んでくれた大切な一枚なのです。
「母」1956年
ゼラチンシルバープリント
1956年、もはや半世紀も経ってしまったこの母の写真は、戦死した父親のあと貧しい家を支えていた母親が、当時数千円した安い二眼レフカメラのリコーフ レックスを高校生の僕に買ってくれ、夏祭りに炭坑節を踊りにいく直前、家で撮った最初の作品である。当時のプリントは無いので、最近作成したものです。
「aged10-17-22」1984年、1991年、1996年
ゼラチンシルバープリント、タイプCプリント
昨今、凄まじい勢いでデジタル化の波が押し寄せてきています。確かに便利ですが、物体としての存在感が希薄でなにか寂しくもあります。写真プリントという 物体が残っている事は、つまり僕が写真とともに生活してきた証でもあるのです。昔のプリントには当時の僕のものであろう小さな指紋までもが残っていまし た。そういった思い出は、写真特有の文化です。フイルムを絶やさず次の世代に残していける様、この活動は続きます。
「non title」2000年
タイプCプリント
プリントをするということ。
撮影のときに自分の眼に映ったものの完成を知らせてくれる手段だと思っている。このプリントのときも。今でもその思いは変わらない。しかし、色を転ばせる ことは出来るはずだが、眼の奥に焼き付いている色を出すことはいまだに一筋縄ではいかない。それでも、自分と被写体とをニュートラルな関係に導くべく私は プリントをし続ける。
「Baby Blue Sky」1999年
タイプCプリント
やっぱりアナログが好きです。撮影時のフィルムを消費しているあの感じ、取り返しがつかない事をしている緊張感。日常の生活で、あの時と同じような感覚を 味わう事はありません。不思議とデジタルで撮るとあの感覚はやってこない、あの非日常な感覚には、本当に常習性があります。ずっとフィルムで撮影し続けたいなあ……
「赤の他人」1988年 ゼラチンシルバープリント
(カラーカプラーによる発色法トーニング)
20年前のこと。デザイナーをやめてぶらぶらしていた頃、ニューヨークへよく行っていました。真夜中の2時頃、アベニューB辺りをハッセルブラッドを担い で、ホームレスやコカインを売りにくる男達を片端から街灯の光で撮影していたのです。怖かったというのが本音ですが、レンタルラボでフィルムを現像する と、底なしに悲しい目をした、しかしぎりぎりに生きる人間の強いポートレイトがそこにはあるのでした。この頃の写真が僕の原点です。
「MOTER DRIVE」1992年
ゼラチンシルバープリント
1995年に初めて出版した写真集「MOTER DRIVE」の表紙写真。この写真で認知され、この写真に苦しんだ、記念の1枚。
「non title」1974〜1975年
ゼラチンシルバープリント
写真を始めて3年目、大して忙しくも無く、NYやLAでぶらぶらしていた24〜25才頃の写真です。暗室技術はかなり未熟でこんなプリントを見せるのは恥ずかしいのですが。風呂場を改造した暗室でフィルム現像したり、プリントしたり。毎日楽しい時間を過ごしていました。当時のラフプリントがドサッと幾つもの印画紙の箱に入ったままになっていて、その中から出して来ました。処理が悪く変色もしていますが…。撮影年1974〜1975年。
「事務所に遊びにきたアメリカ人モデル」1979年
ゼラチンシルバープリント
独立して初めて持てた事務所は、渋谷にある少しアンティークな木造アパートの一室でした。そこの白壁に入り込む自然光でよく作品を撮った。暗室は部屋の一 角に合板と材木を使って自作したもの。2畳足らずの広さの中で4ツ切り迄のプリントができた。不自由ではあったが自由もあった時代。この写真を見ると当時のことを思い出す。
「庭」2001年
タイプCプリント
大学4年生だったときに、4×5のカラーネガフィルムをプリントできる引き伸ばし機がなかったために、モノクロの引き伸ばし機で手差しのRGBフィルターを使い、加色法でプリントした思い出のプリントです。
「When the White Bird Fly」1979年
ゼラチンシルバープリント
学生の時は一眼レフの時代でした。私もいつも肩にさげていました。しかしある時、二眼レフを首からさげた姿をショーウインドーに、写す物にお辞儀をして撮っている自分を見つけました。それ以来二眼レフのカメラが当分の間、首からさがりました。
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