ゼラチンシルバーセッション | Gelatin Silver Session - Save The Film -

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[写真家の視線を探る]

展示について

コンタクトプリントとは撮影したフィルムの全てのコマを印画紙に密着プリントしたもので、通常、撮影者はコンタクトプリントを見て引き伸すコマをセレクトします。
コンタクトプリントを第三者に見せる事は通常ありえないのですが、視線、撮影過程、癖など写真家の行動や個性を解き明かす意味でも、あえてフィルムを丸ごと展示する事にしました。

石塚元太良

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「The light once opened backcover of camera」2007年 タイプCプリント

デジタルですべてのことができるかのような時代だがフィルムにしかできないことは、もちろん、もちろん、たくさんある。

笠井爾示

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「A view from my Darkroom」2005年 ゼラチンシルバープリント

あたりまえですが、人は忘却する動物だから写真を撮るわけであって、ときにはその忘却を呼び起こすために写真を手に取り、見て、想像する。ただの再確認だけなら他にも手段があるであろう。でも、そのツールとして、皮膚感覚とイマジネーティヴに「安定」しているのはいまなお銀塩であり、それに勝るものはない、というのがぼくの持論です。

久家靖秀

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「塩ノ花」2003年  タイプCプリント

写真家の仕事はフィルムやレンズなど機材の進歩によって大きな影響を受けてきました。フィルム生産が減少する中で多くの周辺機材も失われようとしています。私は、作品のほとんどをシートフィルムで撮影してきました。商業写真の大半がデジタルで撮影され、手作業の美しさ、極め細やかさならデジタル修正技術にもあると思われる今日、アナログフィルムを選択肢として残さなければならない理由とはなんでしょうか。フィルムはひとつの言語だと思います。アナログ写真は人間に似ていて、有機的で無限です。アナログは選択肢であるだけでなく、その中にこそ膨大な選択肢があるはずです。作品はフランスの塩田風景です。塩化ナトリウムより天日乾燥の海水塩のほうが高価でもありますが、私たちには美味しく感じられるのです。

小林紀晴

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「ASIAN JAPANESE」1991年   ゼラチンシルバープリント

一年前よりも、銀塩写真の存在が確実に危ういものとなっていることを、強く感じています。

小林伸一郎

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「少年石膏像」2006年 タイプCプリント

「廃墟」をテーマに長年作品を発表していますが、飽きる事のないモチーフにめぐり合い、幸福を感じています。廃墟の撮影にはブローニー、4×5のネガフィ ルムを使用しオリジナルプリントをする方法を続けています。個性的な色調や好みの質感描写がしやすく、仕上がりのイメージが常に読める事が銀塩を使う大き な理由です。デジタルの特性を見極めて、写真表現に取り込めれば挑戦したいと思いますが、フィルムとの付き合い以上にデジタルに精通するのにはかなりの時 間が必要。その時間は被写体との出逢いに費やしたいと思っています。仕事の写真も最近はネガを使えるので、現状の銀塩写真をもっと追求し究めて行きたいの が本音です。

菅原一剛

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「Stailheim, Norway」1990年 ゼラチンシルバープリント

『まあるい粒子の話』
今回出展した写真は、ノルウェーの滝の写真です。その大きな滝からものすごい勢いで水が落ちていきます。そしてそのもともと透明だった水は、大気とぶつか り合い、押し戻されるように、細かい“粒子”と化しながら、真っ白なかたまりとすがたを変えていきます。そしてそれらはすべて、水という“粒子”の集合体 です。このように、今回の被写体である滝はとても具体的に、“水の粒子”という“まあるいもの”の集合体ですが、実はこの世の中に存在する多くのもののほ とんどが、“まあるいもの”であると言ってしまってもいいのかもしれません。しかも、いい写真というのは、いつの日もとてもあたたかくて、その印象もとて も“まあるい”ような感じがするのです。そして、フイルムの中にも、印画紙の中にも、同じような“まあるい粒子”がたくさん詰まっています。それらが、被 写体と呼応しあったときに生まれる“一枚の写真”を、いつまでも大切にしていきたいと思っています。

鋤田正義

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「ヴィヴィアン・ウエストウッド1977年」1977年 ゼラチンシルバープリント

(今回展示の)この写真はロンドンのパンク・シーンをドキュメントした時の1枚。かつて、最もすぐれた世界のファッションデザイナー6人にも選ばれたヴィ ヴィアン・ウエストウッド、彼女と親しかった当時ロンドン在住のファッションジャーナリスト島田政江さんに紹介してもらってスナップする事が出来た。自然 体に撮れた彼女の写真はとても気に入ってくれて、数年後再びスタジオで撮る事が出来た。

瀬尾浩司

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「写真する行為」2006年 タイプCプリント

携帯電話やカーナビと、どんどん世の中は便利になっていってるけど、その代償に電話番号や道を覚えなくなった。デジタルで撮影して再生(確認)して撮りな おしているようでは一瞬を捕らえる能力もどんどん低下していくだろう。写真する行為はもっとギリギリの中から生まれるものである。暗室に入りプリントする 自分と撮影する自分とはあきらかに違う自分である。何年も前に撮影したネガをとりだして見つめていると思わぬ写真に出会う事がある、時間をかけてゆっくり 『熟成したネガ』をプリントするのも写真の楽しみのひとつである。1枚の写真が生まれるまでのそんな行為を愛おしく思う。展示されてる写真は Polaroidから発売されてた『タイプ55』のフィルムで撮影してネガをタイプCプリントした。この『タイプ55』のフィルムも2008年ついに生産 終了になった。

瀧本幹也

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「Hawaii Sea」2005年 タイプCプリント

昨今、凄まじい勢いでデジタル化の波が押し寄せてきています。確かに便利ですが、物体としての存在感が希薄でなにか寂しくもあります。写真プリントという 物体が残っている事は、つまり僕が写真とともに生活してきた証でもあるのです。昔のプリントには当時の僕のものであろう小さな指紋までもが残っていまし た。そういった思い出は、写真特有の文化です。フイルムを絶やさず次の世代に残していける様、この活動は続きます。

辻 佐織

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「provence 2005」2005年 タイプCプリント

暗室作業ということが、好きです。音楽をバシバシかけてプリントしてることが多いのですが、撮影中の高揚感と暗室の中でフワッと画像があがる高揚感は言葉 にならない喜びです。真っ暗な中での自分だけの光というか...嬉しい孤独感です。プリントをはじめて、15年近くになります。当時はよく独特の色です ね...などと言われたりしましたが、自分では、その時々の気分で気持ちの良い色、露出を選んできました。今回は緑を金色の印象で仕上げています。日本で 生産終了したAgfaのフィルムも良い感じです。基本的に、明るいクリアな色が好きでデジタルの発色の良さ軽さも時として好きですが、色の厚み、深さとい う面でプリントのクオリティに近づけるのは難しいといつも感じています。1枚1枚が、手作業で同じものがないのも魅力です。

泊 昭雄

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「ニュートラル2」2008年 タイプCプリント

私が写真を撮るという行為。それはモノを視つめる事、モノを探る事、そしてモノを愛する事。そこから色々な想像が始まります。時間による光、天候による 光、人口的な光、そして音と場。これらを想像し、見えてくる行為に視線を向け、モノの色気を感じとる。あとは写真機のサイズを判断し、シャッターを押した そのシーンを印画紙に焼き付けるのみ。ここには、水と温度、ときには湿度が必要で、撮る行為と同じように紙の上では、銀塩たちが徐々に色気を感じさせてく れます。「撮る」という行為から、表現したいモノがようやく一本のラインになりつながってゆく瞬間です。すなわち、フィルムにまず自分の思いを焼き付け、 印画紙には「見せる」という思いを焼き付ける。ここまでの時間の流れは、銀塩でしか味わえないような気がしています。不便さはあるものの、不便さゆえの味 わいや奥行きはフィルムでしか表すことが出来ない。私にとって、大切な表現方法のひとつです。

中野正貴

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「Cuban Carnaval」1997年 ラムダプリント

いわゆる「良い写真」と呼ばれている写真に共通する評価の言葉のひとつとして「シズル感がある」という表現が度々使われる。言い換えれば「みずみずしい」 とか「生命感に満ちている」といった意味合いのことなのだが、それはなにも食べ物の写真に限らず、人物や風景そして静物とあらゆるジャンルのモチーフの中 に潜み込んでいる写真に潤いと魅力を与える感覚元素のことなのだ。例えばそれに逆光の光が物に当たってハネた瞬間のような光の持つ色気とか風などの自然現 象から生まれる場合もあるが、最大の原因は「湿っ気」である。デジタルの写真には、この湿っ気が出にくい。逆に言うと生々しさが薄くなるので、人形的な ポートレートか絵ハガキ的な風景写真の撮影には向いている。銀塩写真に魅力を感じるのは、質感、触感、涼感そして臨場感など心にゆさぶりをかけるあらゆる 感覚を醸し出すこの湿っ気が写り込みやすいという特徴をもっているからだ。

蜷川実花

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「無題」2008年 タイプCプリント

やっぱりアナログが好きです。撮影時のフィルムを消費しているあの感じ、取り返しがつかない事をしている緊張感。日常の生活で、あのときと同じような感覚 を味わう事はありません。不思議とデジタルで撮るとあの感覚はやってこない、あの非日常な感覚には、本当に常習性があります。ずっとフィルムで撮影しつづけたいな………。

M. HASUI

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「二日間」2008年 タイプCプリント

昭和38年、世田谷区の下馬の古い集合住宅の前で、父に抱かれて少しだけ笑っている私の写真が、古いアルバムに挟まれていた。当時35歳の父はちょっと気 取ったロイドの眼鏡に白い開襟シャツで、髪はポマードでかためてオールバックに決めている。その父は数年前に頸椎ヘルニアで手術を受けたがあまりうまくい かず、その後は歩くことをしなくなり、今は小さな施設の狭いベッドの上でただただぼーっと時間をつぶしている。まるで過去の一日一日を丁寧に思い出しては なぞっているように。今年の父の日に見舞いに行って、車いすで散歩に連れ出した。商店街のイタリアンレストランの前に差し掛かると、小さな声で呟いた。 「イタリアには一度行ってみたかったな。きっと綺麗なんだろうな。」じゃあ行ってみようか、と、声にはならなかった。

ハービー・山口

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「二子玉川 2005」2005年 ゼラチンシルバープリント

デジタルは電気信号、フィルムは銀の化学反応。僕は絶対にフィルムの存在感が好きだ。特にライカにモノクロフィルム、そしてバライタの組み合わせに感動する。これぞ永遠。これぞ我が道。

平間 至

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「在来線でいこう」2008年 ゼラチンシルバープリント

僕も含めて多くの人達がフィルムが少なくなっていく事で写真に対して自覚的になっていった。もしかすると100年後にフィルムは無くなっているかもしれないけれど、今、フィルムを通して世界を愛した事が一番大事な事。

広川泰士

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「Pacific rim」1999年 ゼラチンシルバープリント

暗室作業は時の経つのを忘れる程楽しい。フィルムあと何枚残ってるんだろうと気にしながら、大切にシャッターを押すのも楽しい。シートフィルムを裏返しに 入れてみるのも楽しい。フィルム入ったままカメラを開けちゃった時は虚しい。失敗すると落ち込むけれど、めげなければ楽しい。手間が掛かるから楽しい。な かなか上手くいかないのが楽しい。上手くいった時はもっと楽しい。経済市場原理だけで、効率だけで、数字だけで判断され、この楽しさが無用なものとして切 り捨てられるのは悲しい。1度失ったものを元に戻す事は水や空気の様に難しい。

広川智基

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「untitled」2008年 タイプCプリント

今回、参加させて頂くにあたってまず考えたのが、若手写真家の単なる作品発表で終わってはだめだなと思いました。フィルムを残す為のイベントに参加するの だから、フィルムの面白さを一般の方々にも知ってもらえるような展示をしたいと思いました。ネガフィルムというのは露光オーバーに対するラティチュード (撮影できる露光の範囲)がとても広くて、展示しているベタの通り2段や3段くらいオーバーしていても、十分にプリントできます。これはデジカメにはな い、ネガフィルムならではの特性です。フィルムカメラを使うのを難しいと思われている方が多いかと思いますが、初めのうちは露出をオーバーめで撮影してい ればだいたい大丈夫です。写真が上がってくるまでの緊張感と、自分の想像していた物を遥かに超えた写真ができるのを一度味わうと病み付きになります。僕は あの緊張感をずっと味わい続けていく為、真剣にフィルムを守っていきたいと思います。

藤井 保

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「BIRD SONG 9」2008年 ゼラチンシルバープリント

コンタクトプリントは人にみせない主義で仕事をしてきた。自分が一番良いと思う写真を自信を持って見てもらいたい。そのために気持ちを込めたプリントをす る。今迄、仕事のなかでコンタクトを「見せろ、見せない」で何度となく緊張したやりとりをした経緯がある。今回の展覧会企画にはルール違反とは思いつつも 1点にフォーカスをする姑息な手法を使ってしまった。スミません。

藤塚光政

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「倉俣史朗・カリオカ」1971年 ゼラチンシルバープリント

『プリント力(リョク)を見せたい』
僕は今までオリジナルプリントを見せるつもりもなかった。ジャーナリストとして写真は印刷して初めて写真だという信念があって、写真は本や雑誌上に表し、 パッケージメディアとして世に放つもので、読者の教養と読み取る力を信じてきた。本の良さは与えられた時間軸に沿って一方的に受けるものではないことだ。 ページを繰り、行きつ戻りつ、興味のある誌面を凝視し、つまらぬところは飛ばし、酔って眠くなれば途中で切り上げて良いのである。寝転がろうが姿勢も場所 も自由だ。一方、写真もPCやデジタル時代になってデータから画像を得て、次々とモニター上でスキャンし、まるで消費するごとく流すようになってきた。発 光画面で知らぬうちに疲労し、手軽に入手した画像に思いも少なく、見る人の読み取る力も確実に弱まっていると思う。これは写真の根本であるプリントを見せ るしかないと、思うようになったのである。

本城直季

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「untitled」2008年 タイプCプリント

50年以上も前に製造されたカメラを借りて旅行に出かけた。そのカメラは露出計もなければ、電池も必要としない、すべてが機械式のカメラだった。35mm の一眼レフだったけれど、慣れてないこともあって、ひとつひとつ撮影過程を確かめながら、じっくりと撮った。はたして出来上がった写真は、半分以上ピント が合っていなかった。けれども、それも良いと思うようになった。失敗が許されない撮影のときもある。しかし、写っているもの対して本当に失敗と言えるもの はあるのだろうか? それがときには、思いがけず素晴らしい作品になることもある。写真はまさに偶然の産物である。一方で不思議なことに、写真が人の思う ままに作られれば作られるほど、画一的なものになることが多いのはなぜか? 銀塩写真には、偶然も失敗も許容してくれる、幅広い可能性が秘められていると 思う。

宮原夢画

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「しあわせ」2007年 ゼラチンシルバープリント プリンター:田村政実 (田村写真)

1800年代中頃、ダゲールやタルボットによって写真は画期的な発展を遂げた。ベースは銀と塩化ナトリウムを混合する事によって感光材となる手法。銀塩写 真は今もなお生き続け、その先人たちのレールによって私は今写真という仕事に携わる事が出来、又、生きる事が出来ている。その先人たちによって確立された 銀塩写真という手法の存在が今、危ぶまれている。それがデジタルの出現であろう。銀塩も写真、デジタルも写真。両方とも写真ではあるが、デジタルの写真は 何とも奥行きを感じないと思うのは私だけであろうか? フィルムの中に含まれる銀の粒子は規則正しくなく、ランダムである。それに対するデジタルは、印刷 で主流な350dpi(1inchの中に規則正しく350の点が配列されている)。人間の空間を捉える目の中の網膜細胞は人によって異なり配列も規則正し くはない。人はこのような目で空間を捉え奥行きなどを認識しているのである。人間の肉眼は銀塩写真に似ているのである。だから心地よさがあるのではないだ ろうか? だから人間の持つ感覚にダイレクトに入り込んでくるのではないだろうか? だから私は銀塩写真を操る。

三好耕三

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「Tucson, AZ 2007」2007年 ゼラチンシルバープリント

水の話です、暗室で使う水の話です。学生時代が過ぎ、本気で写真で世の中と関わって行くと決めた時期です。粒子の作り方、揃え方を気にして、現像液や定着 液等の溶液を作るのに蒸留水、純水を使って、深みにはまって行きました。暫くするとここは実験室ではない「暗室」なのだと軌道修正したのです。私の暗室は 今迄三カ所移りました。最初の暗室は約20年間東京に近い千葉県で関東ローム層を通った井戸水を使った暗室。その次はコロラド川の水を砂漠の真っただ中、 州を跨いで引いて来たカルキのたっぷり入った生温い水道水のアリゾナの暗室。そして三カ所目は、近くに「春の小川」が遥か時の彼方に流れ、金魚祭りで賑わ う鎮守様があり、多摩川水系から取水し、江戸時代に作られた玉川上水で都心に運ばれる水道水の現役の暗室です。それぞれの暗室で現像したネガは、同じフィ ルムを使い続けているのに、微妙に違います。プリントを手洗いする時の水の感触もそれぞれ違います。

森本美絵

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「2004.3. Nederland」2004年 タイプCプリント

何故フィルムなのか、と聞かれれば答えられる答えはいくつもある。いくつもあるけれど、どんな答えを辿っても、結局は「最初に扱ったカメラがフィルムカメ ラだったから」ということになるだろう。最初にデジタルカメラを扱っていたらどうしていただろう? もはや立ち戻ることは出来ないのでそこに結論はない が、畢竟それが全ての世界の成り立ち方でもある。そして私は今、わずかな写真の歴史の中のその170年目辺りでフィルムについて考えている。一人で考える のもいいけれどみんなで考えるのはもっといいかもしれない。ベタ焼きを見て、暗室に入り、街へ出て、また次のシャッターを待つ。

山本哲也

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「AFRICA」2001年 ゼラチンシルバープリント

1つの被写体に対して基本的に1枚しかシャッターを切らないのでFilmを選んで撮影し、現像が上がるまでのドキドキ感がいい! その写真を暗室でプリントする作業は、自分の写真に対して、命を吹き込む作業だと思う。Films Forever

若木信吾

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「ジョン・ミューア・トレイル」2008年 ゼラチンシルバープリント

今回はステレオカメラを使いました。ジョン・ミューア・トレイルというアメリカの国立自然保護地域の中にあるトレッキング・コースの写真です。ステレオカ メラという特殊なカメラの構造上、ベタは特に興味あるものになりました。アナログでなければ表せないない物の一つだとおもいます。このように作品が出来る までの状況が手に取ってわかることがとても大事だとおもいます。

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